無謀にも3作品も出展することにしました。無謀でした。
「かは(者)り(利)ゆくけ(介)しきを みても(毛)いけ(介)る身の いのちをあだ(多)に(尓) おもひ(日)け(介)るか(可)な(那) 俊恵法し」
従来,俊成の字は癖字,奇怪な書などと酷評されてきました。無計画な肥痩,無造作な転折,乱暴な字形,大仰な抑揚。かなの持つ繊細さとは一切無縁のその書きぶりからすれば,かかる評判も当然かもしれません。
しかし,そこには「ペンでもなく,マジックでもなく,筆で書いているんだ!」という俊成の叫びが聞こえます。「筆」で「書い」たということを覆い隠さず,むしろ筆がかけがえの無い存在として,あるいは,書くという行為それ自体が意義のある行為としてクローズアップされた瞬間でありました。私の用語に従うと,「筆が規範に取り込まれた」ということになります。漢字で言えば,筆の存在を押し殺して均一な線を引く篆書の時代から,筆が大胆な波磔を楽しむ隷書の時代へと移る,そんな革命的なできごとかもしれなかったのです。
作品制作にあたっては,単にそっくり臨書するにとどまらず,私の感じた俊成を再構築することを試みました。例えば,作品全体を中央に凝集させ,今にも爆発しそうなエネルギーを表現してみました。また,切り裂くような鋭い線質も意識しました。
楷書は苦手なのですが,にくさんのたってのお願いで楷書作品を出すことにしました。
多宝塔碑は西暦七五二年,顔真卿四十四歳の時の書で,多宝塔建立に際して刻されたものです。顔書の特徴が際立つ晩年のものに比べれば,整斉とした初唐の書風に近く,顔書を好む者には幾分の物足りなさも感じられます。しかし逆に,癖が強くないことから,初学者向けの習字テキストとして中国や日本で使われてきました。
顔真卿は私が書道に興味を持つに至ったきっかけでもあるので,できれば上手く書きたかったのですが,現実はなかなか厳しいようです。次回は上手く書けるよう努力します。
「水天一色」
洪応明『菜根譚』より。はるか遠くの海と空が,ぼうっと溶け合って青一色に見える秋の情景を言う。
今回は共同制作ということで,それぞれにバリエーションを持たせるために隷書を刻してみました。