書芸術の規範内在性について

書芸術の規範内在性について

書芸術の最大の特徴は,規範の内在性にある。芸術には絵画の他に,音楽,文学,建築,彫刻等,多岐にわたるが,区切られた平面上に表された芸術として,比較しやすい絵画芸術を考えてみたい。

絵画は原則として規範をその外に持つ。すなわち,リンゴの絵であれば,リンゴという物体,貴婦人の肖像画であれば,絵画を離れたその外に,対象となる人物が必ず存在する。実在の人物でなくても(神話や伝説上の一般に共有された人物であれ,作者がその瞬間に作り上げた人物であれ),問題は同じである。外在する規範をより「よく」二次元平面上に表し得たものがより「よい」芸術である。

このことは必ずしも写真で撮ったような精巧な絵画が素晴らしいということにはならない。第一に写真では,ある一つの視点から見た像しか提供しないし,仮にあらゆる視点からの像をいわば三次元的に表現できたとしても,それは時間限定的であるし,表層しか捉えられていない。リンゴという存在そのもの,あるいは,貴婦人の人となりを表現しきれたとはいえないからだ。そもそも我々の目は,写真のように見えているとは限らない。焦点にあるものは誇張され,焦点外のものは捨象される。そうなってくると,精緻さも,よさの自明な条件とはなり得ない。また,焦点にあるものでさえ,事前の情報により屈折して見えてくることもあろう。

本来,時間的にも空間的にも限定され得ない対象物を,時間的に固定し,しかも空間ではなく平面に表さねばならないという制約との格闘が,絵画芸術の本質であると言える。最初に挙げた,あらゆる視点からという志向はセザンヌのリンゴの絵や,ピカソのキュービズムにつながっていく。

無論,書芸術にも外部規範は存在する。書かれる言葉,文章の意味がそれである。しかし,少なくともこれは現在に至るまでの書道史を振り返ってみた場合,内在規範よりさして重要なものとは思われない。現在の日本における書道事情を見るに,臨書であれ創作であれ,書かれる文章の意味に注意が払われることは稀である(「田」は田んぼを表す記号としてでなく,縦三本・横三本の線分からなる記号としてしか捉えられていない)。意味をよりよく表そうとスタイルを考えるのは,一字書くらいであろう。墨場必携のような存在も,そもそも書家には書きたい言葉などないということを象徴的に表している(別にそれを批判しているわけではない)。また,王鐸は王羲之を幾度となく臨書しているが,スタイルの美しさを求めて,「誤字脱字」を頻繁に行っている(我々は普通中国語が読めないから誤字脱字しても平気だが,中国人である王鐸がそれほどまでに誤字脱字をするとは意図して行ったとしか考えられない)。書芸術は,意味から切り離されたスタイルの芸術,すなわち,何を書くかよりも,いかに書くかが重視されたものとして存在している。

芸術にはすべからく規範が必要である。無論,ここで言う規範とは,物差しのような,万国共通で,客観的な基準を意味しない。主観的で(つまり,人によって異なり),時間・状況限定的な(つまり,同じ人物でも時と所によって異なる)基準であっても一向に構わない。しかし,何らかの規範は必ず必要である。ここに二つの花の絵があったとして,一方が他方よりもよい,と誰も一瞬たりとも思わなかったなら,そこに芸術は存在しない。一方がもう一方よりも「いい」と思えて――その理由が説明できなかったとしても――初めて,芸術が生まれるのである。

とすれば,当然書も芸術である以上,規範が存在するはずである。それは何か。

それは取りも直さず,書,そのものである。先人の書が規範として後代の書を拘束する。これは書道において臨書という行為がとりわけ重視されてきた大きな理由である。臨書という行為は,取りも直さず書芸術の持つ規範を自らのうちに内面化することである。絵画においてはデッサンに相当する。書家の並々ならぬ努力を示すエピソードとして「王羲之を毎日何百回と臨書した」というのはよくあるが,画家に「ダヴィンチを何度も描いた」という人はあまり聞かない。その代わりに,「来る日も来る日もデッサンに励んだ」といった形容が使われる。ここに大きな違いがある。デッサンが絵画を離れた「モノ」そのものを対象とするのに対し,臨書は既に書かれた(すなわち,時間を止められ,二次元に拘束された)書をその対象とする。臨書を通じ,出来る限り規範としての古典に近づこうとする,そのプロセスが書芸術の本質である。書道の「道」という字はそれを象徴している。

客観的に見たときに,書芸術と他の芸術を比べて目につく違いは,制作者と鑑賞者の境界が不明確である,という点である。絵画の鑑賞者が絵を描いたことがなくても不思議ではない。文学愛好家は別に作家たることを要求されない。しかし,書はどうであろうか。もし,書の鑑賞が趣味という人が芳名録にひどい字しか書けなかったらやはり変ではないだろうか。展覧会に行っても,来るのは書道関係者ばかりである。絵画の展覧会に来る人は画家ばかりではない。

「書は分かりにくい」という批判がある。しかしそれは,このことを踏まえれば当然のことである。制作者が前提としている規範が鑑賞者に内面化されていない以上,どこに価値があろうとも思えないだろうし,書道関係者やその家族くらいしか見に来ないのは無理からぬことであると言える。書道をしたことがない人にとっては,平安王朝のかなも恐らく,活字から乖離したものとして,下手にしか見えないことだろう。

ともあれ,この規範内在性は,書が芸術としてやっていく上でのある種の限界を示唆している。つまり,規範への接近度を芸術の評価基準とした場合,書芸術は内在するその規範を超えることができない。つまり,セザンヌのリンゴは,時間的空間的な制約をクリアしたものとして,実物のリンゴに対抗しうるが,九成宮的規範の下で書かれた書は,すでにその制約をクリアしている九成宮を超えることができないのだ。九成宮が規範として確立すると同時に,その規範に到達した書としての九成宮が現れ,もはや書は「完成された」芸術として,その役割を終えてしまう。書道を芸術たらしめた規範の成立が,今度は芸術としての書の生命を脅かすのである。

ここで,書が芸術として生き残るためには,規範として確立された九成宮を破壊することが必要になってくる。先に「先人の書が規範として後代の書を拘束する」と言ったが,規範成立後の書は,定立された規範を規範の座から引きずりおろし,次いで自らが規範となって後代の書を拘束するような書を追い求めることとなる。もちろん,この革命が成功し,新たな規範として政権の座に就いたら,次はその新たな規範が来るべき次の規範候補に命を狙われることになる。こうして見ると,中国書史は易姓革命が行われる中国政治史と重なり合うということも言い過ぎではないかもしれない。正書体として存在した篆隸楷の三書体は,ちょうど,秦漢唐の三王朝とその盛衰を一にしている。漢民族が作った強大な王朝は他にも明があるが,かの王朝の作ったものは明朝体である。宋が自らのアイデンティティとして打ち立てようとしたものは痩金体,というのは少し穿ち過ぎであろうか。

ともかく,書史がこのように王朝興亡史である以上,書の評価はその歴史性を離れては行うことができない。

ではその歴史性とは何か。(つづく(予定))

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